【ファン・ジョンミン】「광대」という言葉からジョンミンさんの俳優観を推測してみた 

ファン・ジョンミンさんがトークの中で、
ご自分のことを「광대(グァンデ)」と仰るのを聞いたことがあります。
そこで、この「광대(グァンデ)」という言葉から、
ファン・ジョンミンさんの俳優観を想像してみました😊

 「광대」の意味を調べてみました

まず、「광대(グァンデ)」って何?っていう話なんですけど、
スマホアプリのネイバー辞書で調べてみますと、「芸人」と出ています。
芸人というと、日本ではまずお笑い芸人を思い浮かべますよね。

そこで、芸人という日本語をWikipediaで調べてみるとこうも出ています。

かつては俳優や舞踊家を含め、演芸や芸能に通じた専門的で職業的な演者一般を芸人と呼ぶことが一般的であった。この用法における芸人が扱う芸種は今日の落語から歌唱や演奏、演劇や歌劇や人形劇、舞踊、手品、傀儡、に至るまで多岐にわたっていた

Wikipedia

「芸人」とはもともと江戸時代などの芸で生計を立てていた人たちを指す言葉のようです。

さらに、日韓辞典を調べてみますと、

광대
 ① 仮面劇や人形劇などを演じる俳優
 ② パンソリを歌う人

小学館韓日辞典

どうやら大衆演劇や伝統劇の俳優さんのことを「芸人(광대)」というようです。
日本語のニュアンスだと、「俳優」じゃなくて「役者」という感じでしょうか。

 「광대」とは芸人のことです

さらに、韓国の検索サイトネイバーなどで詳しく調べてみました。

「韓国の伝統芸能、仮面劇や人形芸、綱渡り、楽器、パンソリなどをした職業的芸能人」

とあります。

ちなみに、映画「王の男」に出てくる主人公たちの芸人たちがまさしく「芸人(광대)」だそうです。

こちらの王の男の予告編が参考になりますね。

また、「芸人(광대)」は俳優の蔑称としても使われることがあるようです。
「役者風情に」というような時、使われたりします。
「俳優」のことをバカにして言う時に「芸人(광대)」が使われたりするみたいですが、
これは、朝鮮時代、「芸人(광대)」は奴婢や妓生と同じ身分、賎人だったことからきているようです。
また、「俳優」の「俳」という文字は「人にあらず」という意味であり、
人の身分ではなかった「芸人(광대)」という言葉にかけているということも書いてありました。

日本でも「河原乞食」という言葉がありますが、
これは歌舞伎役者などを卑しめて言った言葉だそうです。
出雲の阿国が四条河原でかぶきを踊り始めたことが語源だとか。
歌舞伎役者も江戸時代最初の頃は士農工商の身分より下だったそうですね。

どこの国でも芸能を提供する人たちは、昔は身分が低い存在とみなされていたんですね~
勉強になります💦

 実際に「광대」が使われている場面

実際に、ファン・ジョンミンさんが使っている場面を見てみましょう。

2018年8月の「工作」のプロモーションで出演された
「배우 what 수다」の中で、

MCが「ヒマラヤ」「工作」と実在の人物を演じることが続いてますが、
実在の人物を演じるのは難しくないですか?

と質問します。

ファン・ジョンミンさんは、

確かに実話を基にした話は制約が多いけど、
実話はフィクションより何倍もエネルギーがあって、面白い。
私は実話が好きというよりも、実話が与えてくれるそのエネルギーが好きなんです。

そう答えています。
そして、最後に、こう言います。

私は芸人(광대)なので、観客に対して面白い話を届けなければならないという義務があります

「芸人(광대)」出てきました。
人々に面白い話を送ることが、芸人としての自分の義務だと言っています。

また、2020年1月のスターチェアのイベントでも、

MCから、ファン・ジョンミンさんは恋愛映画を撮りたいと言っていますが、
今でもそう思ってますか?

という質問をされた際に、

私はただ、恋愛映画が好きというよりも、
私は、芸人(광대)として、作品を通して観客と通じ合い、会話をすることが好きなんです。

と答えられています。

ファン・ジョンミンさんがなぜ恋愛映画が好きなのか、
また、ここで出てくる「疎通(소통)」という言葉もジョンミンさんがよく使われる言葉ですが、
そのあたりについては、また別の記事で書きたいと思いますが、

このように、特に観客たちに作品を届ける、楽しませる、通じ合う、という話をする時、
(これはファン・ジョンミンさんの映画観にも通じるものがありますが)
この芸人(광대)という言葉を使っているような気がします。

演技の技術的な話などをされる時は普通に「俳優(배우)」という言葉を使ってるかなあという感じがしています。

ちなみに、余談ですが。

2016年9月の「アシュラ」のプロモーションで行われた「ムービートークライブ」では、
クァク・ドウォンさんもご自分たちのことを「芸人(광대)」と仰ってましたね。

このライブの直前に釜山で大きな地震があったので、
チョン・ウソンさんのこのような時にライブをやっていいのか悩んだんだけど…という話に続き、
クァク・ドウォンさんが

「私たちは、芸人(광대)として、舞台に立って、観客に笑いと幸せを届けるのが私たちの宿命だと思っている」

と語っていました。

 ファン・ジョンミンさんにとっての俳優業

ジョンミンさんにとっての俳優って職業はまさに芸人なのかなと思います。

人々に、観客に、楽しく面白い作品を提供する、そしてそれによって通じ合う、ということ。
つまりは、普通の人たちの日常の楽しみを提供する、
ジョンミンさんにとっての俳優とはそういう存在なのかなあと感じています。
昔の芸人たちがそうであったように、一般大衆の日々の楽しみを提供する職業人という意識。

大阪にいらっしゃった時、どんな俳優になりたいかという話の中で、

観客の皆さんが、後に振り返って、
「あの頃、ファン・ジョンミンといういい俳優がいたなあ」
と誇らしく周りの人や家族に話たくなるような、そんな俳優でありたい

そう言っていましたね。

もちろん、映画は芸術であり、俳優はアーティストという考え方もありますが、
ジョンミンさんの使う「芸人(광대)」という言葉からは
それとは少し違うニュアンスを感じます。

芸人として人々に楽しみを娯楽を提供するのが自分の使命といいきるジョンミンさん、
いいなあと思います。

芸人というのは、俳優を卑下した言い方かもしれませんが、
ジョンミンさんが使う時、決して自虐的に使っている感じはしません。
むしろ、芸人、役者というプロフェッショナルな職業に誇りを持っているようにも見えました。

私は、個人的にファン・ジョンミンさんが、
芸人(광대)という言葉を使っている時がとても好きです。
日本語に翻訳されてしまうと、たぶん「俳優」と訳されてしまうと思うので、
こういう微妙なニュアンスが分かるところが、
韓国語を勉強しててよかったなあと思う瞬間でもあります。

 俳優の「俳」の字は「人にあらず」

最後に、俳優の「俳」の字は、「人にあらず」という意味であるという話について。

さきほど、その意味と昔の身分制度との関係を書きましたが、
いろいろ調べていたら、別のエピソードも出てきましたので、
ちょっとご紹介します。

俳優のキム・ミョンミンさんが、ソウル芸術大学演劇科の最初の実習の時、
教授から言われた言葉が
この「俳優は人であってはならない」という言葉だったそうです。

これはいろいろ解釈ができそうですが、
俳優は何にでもならなければならない、
他人にも、また猫でも犬にでもならなければならない、ということ。

常に自分ではない何者かにならねばならない俳優の宿命でしょうか。
何となく意味は分かるような気もします。

ファン・ジョンミンさんもソウル芸術大学演劇科出身ですし、
キム・ミョンミンさんと何歳も違わないので、
やはり同じ言葉を聞いたのかなあ~と想像してしまいました。

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